近年、我が国でも海洋散骨という葬送の方法は一般に知られるようになりましたが、それは芸能人・有名人の方々が海洋散骨されたという報道によるところも大きいと思います。海洋散骨された芸能人・有名人(国内編)後編として、天本英世、中島らも、深浦加奈子、藤沢秀行、梨元勝、立川談志、新藤兼人の海洋散骨の詳細を以下にご紹介していきたいと思います。
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海洋散骨された芸能人・有名人(国内編)⑨ 天本英世(あまもと ひでよ)
職業:俳優
生年-没年:1926年1月2日- 2003年3月23日
散骨場所:スペイン・アンダルシア州
逸話:仮面ライダーの死神博士でも人気を博した天本英世。スペインを非常に愛していたため、1979年には7ヵ月にわたりスペインを旅して周り、のちに『スペイン巡礼』と『スペイン回想』の両著を上梓しています。2000年に著した『日本人への遺言(メメント)』では「私は、スペインで死にたい。20回も訪ねて歩きまわった大好きなスペインで死にたい」と遺言を残していた天本ですが、残念ながら2003年3月23日、急性肺炎により福岡で亡くなりました。死後、関係者の尽力により遺灰は遺言通り、愛したスペインのアンダルシア州・グアダルキビール川源流に散骨されました。
海洋散骨された芸能人・有名人(国内編)⑩ 中島らも(なかじま らも)
職業:作家
生年-没年:1952年4月3日 – 2004年7月26日
散骨場所:宝塚市および大阪湾上空
逸話:中島らもはエッセイ『わが葬儀』の中で「僕の死体も、できればそういう風に使ってほしいものだ。目玉、内蔵、せきずい、使えるところはみんな他の人のために使ってほしい。残った部分はミンチにして海に投げ込み、魚のエサにしてほしい。お墓はいらない。金がムダである。僕という存在の喪失が、しばらくの間人々の間に影を落とし、やがてその影が薄れていって、僕はほんとうの『無』になる。そういうのがいい」と記しています。死後、セスナ機から遺骨の一部を散骨する予定でしたが、一度は台風で延期に。後日、八尾空港からセスナ機で飛び立って妻と息子によって大阪湾に海洋散骨されました。
海洋散骨された芸能人・有名人⑪(国内編) 深浦加奈子(ふかうら かなこ)
職業:女優
生年-没年:1960年4月4日 – 2008年8月25日
散骨場所:相模湾
逸話:
若くして亡くなった娘・深浦加奈子への想いから両親はしばらく遺骨を自宅で保管していましたが、本人の生前の希望で神奈川県葉山町の相模湾に海洋散骨されました。父・栄助さんは「我が家では40年ほど前から、夏に一家で下田の海に行くのが恒例でした。ただ4年前に散骨をしてからは、その意味が変わった。家内などは“加奈子に会いに行く”というんです。散骨したのは逗子ですが、海は繋がっているから、海に行けば加奈子に会える。そういう気持ちになりました」と語っています。
海洋散骨された芸能人・有名人(国内編)⑫ 藤沢秀行(ふじさわ ひでゆき)
職業:囲碁棋士
生年-没年:1925年6月14日 – 2009年5月8日
散骨場所:周防灘(山口県周南市)
逸話:藤沢は生前、「俺が死んだら、墓のような窮屈な所には入りたくない」と散骨の意向を家族に伝えていました。散骨先には、瀬戸内海を舞台にした歴史書や古典を愛読していたことや、「(散骨するなら)日本一景色のいい瀬戸内海の周防灘がいい」と生前に言い残していたことから、山口県周南市大津島沖の周防灘に海洋散骨されました。後に、散骨場所に近い大津島の島民らが「名棋士の散骨を形として島に残そう」と計画。藤沢を慕うプロ棋士も募金を呼びかけ、約300万円の浄財が集まり、「海への旅立ち」をテーマとするモニュメントが設置されました。
海洋散骨された芸能人・有名人(国内編)⑬ 梨元勝(なしもと まさる)
職業:芸能レポーター
生年-没年:1944年12月1日 – 2010年8月21日
散骨場所:東京湾
逸話:芸能リポーター梨元勝は闘病中も「海に行きたい」と話すほどの海好きでした。妻と長女でタレントの麻里奈は、梨元が友人と共同所有していた船「KYOSHUKU-MARU(恐縮丸)」に乗り、東京・台場付近の東京湾上で遺骨を海洋散骨しました。初めて同船に乗ったという麻里奈は「これが3人で乗る最初で最後。父も喜んでいると思う」と話しています。
海洋散骨された芸能人・有名人(国内編)⑭ 立川談志(たてかわ だんし)
職業など:落語家
生年-没年:1936年〈昭和11年〉1月2日 – 2011年〈平成23年〉11月21日
散骨場所:ハワイ海域
逸話:晩年は病との闘いだった談志。自身の最期に関しては「葬式は要らない。お経も要らない。人に言うな。戒名も自分でつける。お骨は海へ」という遺志をご家族に伝えていました。当初、沖縄の渡嘉敷島かハワイなどの海で一部を撒く予定と報道されていましたが、長女・弓子さんが一人でハワイに渡り、談志が好きだったハナウマ湾や談志が勝手に「ダンシビーチ」と呼んでいたお気に入りの海岸など3カ所にわけて海洋散骨されたそうです。
海洋散骨された芸能人・有名人(国内編)⑮ 新藤兼人(しんどう かねと)
職業:映画監督
生年-没年:1912年(明治45年)4月22日 – 2012年(平成24年)5月29日
散骨場所:広島県三原市宿祢島付近の海
逸話:老衰で亡くなった新藤兼人監督(享年100歳)は代表作『裸の島』を撮影した広島県三原市の宿祢(すくね)島付近の海に海洋散骨されました。同作に主演し、先立った妻の乙羽信子の遺骨の半分も散骨されています。無人島である宿祢島は遺族が購入し三原市に寄贈されています。
まとめ
ここまで「海洋散骨された芸能人・有名人(国内編)」を紹介してきました。生前に「海洋散骨して欲しい」と遺言を残した方や、残された遺族の判断によって海洋散骨された方がいるのがわかります。海洋散骨は芸能人・有名人のための特別なセレモニーに感じられますが、「横浜海洋散骨わたる」のチャーター散骨プランは粉骨料金も込みで10万円からとリーズナブルな価格になっていますので、興味のある方は是非お問い合わせください。この記事が皆様それぞれに適した供養を選択する上でお役に立つことができたら嬉しいです。お読み頂きありがとうございました。
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