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実はこの方も!海洋散骨された芸能人・有名人(国内編)前編

国内での芸能人・有名人の散骨例は1991年を境に急増しています。これは「葬送の自由をすすめる会」が散骨について法務省に「刑法」の「遺骨遺棄」(190条)との関係を問い合わせた際、法務省が答えた「非公式見解」が強く影響しています。海洋散骨された芸能人・有名人(国内編)前編として、石原裕次郎、いずみたく、乙羽信子、沢村貞子、横山やすし、勝新太郎、hide、荒井注の海洋散骨の詳細を以下にご紹介していきたいと思います。

Contents

海洋散骨された芸能人・有名人(国内編)① 石原裕次郎(いしはら ゆうじろう)

職業:俳優・歌手

生年-没年:1934年(昭和9年)12月28日 – 1987年(昭和62年)7月17日

散骨場所:相模湾

逸話:昭和を代表する国民的大スターであった石原裕次郎。彼が亡くなった際、兄の石原慎太郎は海を愛していた弟を想い海洋散骨を希望しましたが、刑法190条の死体損壊等罪や「墓地、埋葬等に関する法律(昭和23年5月31日法律第48号)」の解釈として適用を免れることが許されないという議論から一度は断念しました。しかし1991年に「葬送のための祭祀で節度を持って行なわれる限り違法ではない」と法務省が発表。遺骨の一部が相模湾に海洋散骨されました。これを機に「他人の土地に無断で撒かない」「散骨場所周辺の住民感情に配慮」といったことを遵守することで、散骨を伴う海洋葬は行なわれるようになりました。

海洋散骨された芸能人・有名人(国内編)② いずみたく

職業:作曲家

生年-没年:1930年1月20日 – 1992年5月11日

散骨場所:相模湾

逸話:「手のひらを太陽に」や「見上げてごらん夜の星を」、「ゲゲゲの鬼太郎」の主題歌など、歌謡曲の分野で多くの人に広く親しまれるヒット曲を生み出したいずみたく。多数のラジオ・テレビのCMソングも手掛け、作曲したCMソングは約3,000曲にも上ります。海とヨットを愛していたことから、「見上げてごらん夜の星を」をご家族が口ずさみながら、相模湾に海洋散骨されました。

海洋散骨された芸能人・有名人(国内編)③ 乙羽信子(おとわ のぶこ)

職業:女優

生年-没年:1924年(大正13年)10月1日 – 1994年(平成6年)12月22日)

散骨場所:広島県三原市宿祢島付近の海

逸話:乙羽信子は主演映画『裸の島』の撮影場所である広島県三原市宿祢(すくね)島付近の海に遺骨の半分が海洋散骨されました。夫である新藤兼人監督は乙羽の遺作になるという覚悟の上で制作に臨み、乙羽自身も残された時間を知った上で命の最後を振り絞って完成させた作品だといわれています。映画公開時、新藤監督82歳、乙羽信子70歳でした。乙羽信子は新藤監督のほとんど総ての作品に出演し、演技派としての道を歩んできましたが、『裸の島』は代表作の1つで、新藤監督自身も同じ海で遺骨の半分が海洋散骨されました。二人の墓は京都妙心寺の塔頭・衡梅院にあります。

海洋散骨された芸能人・有名人(国内編)④ 沢村貞子(さわむら さだこ)

職業:女優

生年-没年:1908年11月11日 – 1996年8月16日

散骨場所:相模湾

逸話:沢村貞子は「葬送の自由をすすめる会」の顧問を務めていました。生前に「私も骨になったら、あなたと一緒にして海に投げ込んでもらいましょう」との言葉を残し、先立った最愛の夫の遺骨とともに遺族の手によって相模湾に海洋散骨されました。

海洋散骨された芸能人・有名人(国内編)⑤ 横山やすし(よこやま やすし)

職業:漫才師

生年-没年: 1944年3月18日 – 1996年1月21日

散骨場所:広島県・宮島競艇場

逸話:自らもボートレースに出場していた横山の遺志で、愛艇を置いた宮島競艇場(BOATRACE宮島)にて「散骨の儀」が行われ、競艇場を愛艇「神風」で三周の後、競艇場と巌島神社の大鳥居近くの二ヶ所に分けて船上から海洋散骨されました。残る遺骨は大阪府河内長野市の「南大阪霊園」に納骨され、墓石の横に、やすしが吹き込んだレコード「俺は浪花の漫才師」のジャケット写真と、歌詞の一部が刻まれた石碑が建っています。

海洋散骨された芸能人・有名人(国内編)⑥ 勝新太郎(かつ しんたろう)

職業:俳優

生年-没年:1931年(昭和6年)11月29日 – 1997年(平成9年)6月21日

散骨場所:ハワイ・ワイキキ沖(一部)

逸話:『座頭市』シリーズでの主演や豪快なキャラクターで愛された勝新太郎。葬儀は築地本願寺で行われ、約11,000人が参列しました。遺体は渋谷区の代々幡斎場で荼毘に付され、遺骨は兄の若山富三郎と共に港区三田の蓮乗寺に眠っていると言われていますが、遺骨の一部は故人の好きだったハワイのワイキキ沖で海洋散骨されたそうです。

海洋散骨された芸能人・有名人(国内編)⑦ hide(ヒデ)

職業:ミュージシャン(X JAPANメンバー)

生年-没年:1964年(昭和39年)12月13日- 1998年(平成10年)5月2日

散骨場所:ロサンゼルス海域

逸話:hideの遺骨は四十九日法要をもって、横須賀市の生まれだった事もあり、神奈川県三浦市の三浦霊園に納骨されました。一部の遺灰は、hideが晩年に住居を構えていたロサンゼルスのサンタモニカの海に、当時のバンドzilchのメンバーや、弟である松本裕士氏によって海洋散骨されました。

海洋散骨された芸能人・有名人(国内編)⑧ 荒井注(あらい ちゅう)

職業など:俳優、コメディアン(元ザ・ドリフターズメンバー)

生年-没年:1928年7月30日 – 2000年2月9日

散骨場所:オーストラリア・ケアンズの海

逸話:元ドリフターズメンバーだった荒井注。出棺時、霊柩車のクラクションと同時に参列者全員が、荒井のギャグ「何だバカヤロウ」を叫んで見送った話は有名です。荒井は生前沖縄の海が好きで、亡くなった際には沖縄の海に海洋散骨して欲しいと遺言していたという話もあります。逝去後、遺族によってオーストラリア・ケアンズの海に海洋散骨されました。

まとめ

ここまで「海洋散骨された芸能人・有名人(国内編)」を紹介してきました。海洋散骨された芸能人・有名人の逸話を紐解くと、生前に思い入れのあった海で海洋散骨されていることがわかります。また、遺骨の一部を散骨された方の割合も多いですね。故人にとって愛着のある海で永眠することができるところが海洋散骨の一番の特徴でしょう。この記事が皆様それぞれに適した供養を選択する上でお役に立つことができたら嬉しいです。お読み頂きありがとうございました。

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